おおさかけんぽう

法律をおおさか弁で知ろう。知らんけど

第39条 自由人の保護

第39条 自由人の保護

第39条 自由人の保護

どんな自由人も、その同輩の適法な裁定、または国の法によらなければ、捕らえられたり、監禁されたり、その自由な土地保有権や自由や慣習を奪われたり、法外者とされたり、追放されたり、その他どんな方法でも害されたらあかん。

私らは彼に向かわんし、彼に対して軍を差し向けることもない。

いかなる自由人も、その同輩の適法な裁定、または国の法によらなければ、捕らえられ、監禁され、その自由な土地保有権や自由や慣習を奪われ、法外者とされ、追放され、その他いかなる方法でも害されてはならない。

我らは彼に向かわず、彼に対して軍を差し向けることもない。

どんな自由人も、その同輩の適法な裁定、または国の法によらなければ、捕らえられたり、監禁されたり、その自由な土地保有権や自由や慣習を奪われたり、法外者とされたり、追放されたり、その他どんな方法でも害されたらあかん。

私らは彼に向かわんし、彼に対して軍を差し向けることもない。

ワンポイント解説

マグナ・カルタの中でも一番有名で、一番大事な条文やねん。「王さんでも勝手に人を捕まえたり、監禁したり、財産を取り上げたり、追放したりしたらあかん」っちゅう、人権の歴史で最も重要な宣言の一つなんやで。これが後のアメリカ憲法の「適正手続き(Due Process)」条項や、世界中の人権宣言の原点になったんやな。

ジョン王の時代、王さんの権力は絶対的やったんや。朝起きて機嫌が悪かったら「あいつ気に入らんから、土地を没収や」「あいつ生意気やから、牢屋にぶち込め」って、理由も裁判もなしに決められたんやで。例えばな、ある貴族がジョン王に「陛下、この戦争は勝ち目がないと思います」って正直な意見を言うたとするやろ。それだけで「反逆罪や!」って決めつけられて、その場で逮捕されて、財産は全部没収されて、家族ごと国外追放、っちゅうこともあったんや。

「同輩の適法な裁定」っちゅうのは、今でいう「陪審裁判」の原型やねん。つまり、同じ身分の人たちが集まって「この人は本当に悪いことしたんか?」「この罰は妥当なんか?」って話し合って決める、っちゅうことや。王さん一人の判断やなくて、みんなで話し合って決めるわけやな。これが民主主義の裁判制度の始まりなんやで。

「国の法によらなければ」っちゅうのも重要やねん。これは「ちゃんとした法律に基づいて裁判せなあかん」っちゅうことで、「法の支配(Rule of Law)」の原則やねん。王さんの気分や感情やなくて、法律に書いてあることに基づいて裁くっちゅうことや。これで王さんも法律の下に置かれることになったんやな。

この条文が革命的やったのは、「いかなる自由人も」って書いてあることなんや。つまり貴族だけやなくて、一般の自由人(農民とか商人とか)も守られるっちゅうことやねん。当時としては画期的な考え方やったんやで。もちろん奴隷は含まれてへんかったけど、それでも「一部の人だけやなくて、自由人全体を守る」っちゅうのは大きな進歩やったんや。

1215年のラニーミードの草原で、貴族たちがジョン王に「この憲章に署名しなさい」って迫った時、ジョン王はめっちゃ屈辱的やったと思うわ。「私は神に選ばれた王やのに、なんで臣下の言うことを聞かなあかんねん」って思ったやろうな。でも貴族たちは「あんたの暴政にはもう我慢でけへん。これに署名せんかったら、王位を追放するで」って脅したんや。結局ジョン王は渋々署名したんやけど、その後すぐに教皇に泣きついて「あんな憲章は無効にしてくれ」って頼んだんやで。教皇インノケンティウス3世も「うん、無効や」って言うてくれたんやけど、もう遅かったんやな。マグナ・カルタの精神は広まってしまったんや。

この第39条の影響はな、計り知れんくらい大きいんやで。1628年のイギリスの権利請願、1689年の権利章典、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス人権宣言、1948年の世界人権宣言、そして日本国憲法の第31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」まで、全部この1215年6月15日のラニーミードから始まってるんやな。

うちが感動するのはな、800年以上前の人らが「権力者が勝手に人を捕まえたらあかん」「ちゃんとした手続きが必要や」「法律は王さんより上や」って、ちゃんと理解してたことなんや。これこそが「自由」と「人権」と「法の支配」の原点やと思うねん。マグナ・カルタは中世の古い文書やなくて、今もわたしらの自由を守ってくれてる、生きた憲法なんやで。

第39条は、マグナ・カルタの最も有名で重要な条文であり、現代の「適正手続きの保障」の原型となった規定です。

この条文は、自由人に対する不当な捕縛、監禁、財産剥奪、追放などを包括的に禁止しています。国王でさえも、「同輩の適法な裁定」または「国の法」によらなければ、誰も害することはできないとしました。「同輩の適法な裁定」とは、同じ社会的地位の人たちによる確立された法と慣習に基づく公正な審判を意味し、権力者の恣意的判断を排除しました。

この条文は、アメリカ憲法の適正手続き条項や、人身保護法(Habeas Corpus)、法の支配(Rule of Law)の原則など、現代民主主義と法治国家の根本原理の歴史的起源となっています。今日でも世界各国の憲法や国際人権文書に受け継がれている普遍的価値を表現した不朽の規定です。

マグナ・カルタの中でも一番有名で、一番大事な条文やねん。「王さんでも勝手に人を捕まえたり、監禁したり、財産を取り上げたり、追放したりしたらあかん」っちゅう、人権の歴史で最も重要な宣言の一つなんやで。これが後のアメリカ憲法の「適正手続き(Due Process)」条項や、世界中の人権宣言の原点になったんやな。

ジョン王の時代、王さんの権力は絶対的やったんや。朝起きて機嫌が悪かったら「あいつ気に入らんから、土地を没収や」「あいつ生意気やから、牢屋にぶち込め」って、理由も裁判もなしに決められたんやで。例えばな、ある貴族がジョン王に「陛下、この戦争は勝ち目がないと思います」って正直な意見を言うたとするやろ。それだけで「反逆罪や!」って決めつけられて、その場で逮捕されて、財産は全部没収されて、家族ごと国外追放、っちゅうこともあったんや。

「同輩の適法な裁定」っちゅうのは、今でいう「陪審裁判」の原型やねん。つまり、同じ身分の人たちが集まって「この人は本当に悪いことしたんか?」「この罰は妥当なんか?」って話し合って決める、っちゅうことや。王さん一人の判断やなくて、みんなで話し合って決めるわけやな。これが民主主義の裁判制度の始まりなんやで。

「国の法によらなければ」っちゅうのも重要やねん。これは「ちゃんとした法律に基づいて裁判せなあかん」っちゅうことで、「法の支配(Rule of Law)」の原則やねん。王さんの気分や感情やなくて、法律に書いてあることに基づいて裁くっちゅうことや。これで王さんも法律の下に置かれることになったんやな。

この条文が革命的やったのは、「いかなる自由人も」って書いてあることなんや。つまり貴族だけやなくて、一般の自由人(農民とか商人とか)も守られるっちゅうことやねん。当時としては画期的な考え方やったんやで。もちろん奴隷は含まれてへんかったけど、それでも「一部の人だけやなくて、自由人全体を守る」っちゅうのは大きな進歩やったんや。

1215年のラニーミードの草原で、貴族たちがジョン王に「この憲章に署名しなさい」って迫った時、ジョン王はめっちゃ屈辱的やったと思うわ。「私は神に選ばれた王やのに、なんで臣下の言うことを聞かなあかんねん」って思ったやろうな。でも貴族たちは「あんたの暴政にはもう我慢でけへん。これに署名せんかったら、王位を追放するで」って脅したんや。結局ジョン王は渋々署名したんやけど、その後すぐに教皇に泣きついて「あんな憲章は無効にしてくれ」って頼んだんやで。教皇インノケンティウス3世も「うん、無効や」って言うてくれたんやけど、もう遅かったんやな。マグナ・カルタの精神は広まってしまったんや。

この第39条の影響はな、計り知れんくらい大きいんやで。1628年のイギリスの権利請願、1689年の権利章典、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のフランス人権宣言、1948年の世界人権宣言、そして日本国憲法の第31条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」まで、全部この1215年6月15日のラニーミードから始まってるんやな。

うちが感動するのはな、800年以上前の人らが「権力者が勝手に人を捕まえたらあかん」「ちゃんとした手続きが必要や」「法律は王さんより上や」って、ちゃんと理解してたことなんや。これこそが「自由」と「人権」と「法の支配」の原点やと思うねん。マグナ・カルタは中世の古い文書やなくて、今もわたしらの自由を守ってくれてる、生きた憲法なんやで。

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