おおさかけんぽう

法律をおおさか弁で知ろう。知らんけど

第12条 盾役金と軍役免除金

第12条 盾役金と軍役免除金

第12条 盾役金と軍役免除金

私らの王国で盾役金や軍役免除金が課されるんは、私らの共通評議会の同意による場合に限られるもんとするで。

ただし、私らの身代金のため、私らの長男を騎士にする場合、および私らの長女を最初に結婚させる場合は、この限りやない。これらの場合には、合理的な軍役免除金を徴収することができるんや。

我らの王国において盾役金または軍役免除金が課されるのは、我らの共通評議会の同意による場合に限られるものとする。

ただし、我らの身代金のため、我らの長男を騎士に叙する場合、および我らの長女を最初に結婚させる場合は、この限りでない。これらの場合には、合理的な軍役免除金を徴収することができる。

私らの王国で盾役金や軍役免除金が課されるんは、私らの共通評議会の同意による場合に限られるもんとするで。

ただし、私らの身代金のため、私らの長男を騎士にする場合、および私らの長女を最初に結婚させる場合は、この限りやない。これらの場合には、合理的な軍役免除金を徴収することができるんや。

ワンポイント解説

マグナ・カルタの中でも第39条と並ぶくらい超重要な条文で、「課税には議会の同意が必要」っちゅう、民主主義の大原則を初めて明文化したもんなんやで。「代表なくして課税なし」っちゅうアメリカ独立革命の有名な言葉も、この条文から始まってるんやな。

ジョン王の時代、税金っちゅうのは王さんの気分次第で決まってたんや。「今年はフランスと戦争するから、盾役金を取るで」「来年も戦争するから、また取るで」「再来年も…」って、しょっちゅう軍役免除金(スクテージ)を課してたんやな。貴族も騎士も農民も、みんなもう払われへんくらい重税で苦しんでたんやで。

特にひどかったんはな、ジョン王がフランスとの戦争で領土を失いまくって、「失地王(ジョン・ラックランド)」って呼ばれてたことなんや。1204年にノルマンディーを失って、1214年にブーヴィーヌの戦いで大敗して、フランスにあった広大な領土がほとんど全部なくなってもうたんや。それでも戦争を続けるために、税金をどんどん上げたんやな。

例えばな、ある騎士はんは5年間3回も軍役免除金を課されて、合計で年収の2倍以上を払わされたっちゅう記録が残ってるんや。「もう家を売らんと払われへん」って嘆いてたそうやで。そういう不満が積もり積もって、1215年の貴族の反乱につながったんやな。

この条文が画期的なんは、「我らの共通評議会の同意による場合に限られる」って書いてあることなんや。「共通評議会(Common Council)」っちゅうのは、大司教、司教、大修道院長、伯爵、大貴族を集めた会議のことで、これが後のイギリス議会の原型になったんやで。つまり「王さん一人で勝手に税金決めたらあかん、みんなで話し合って決めなさい」っちゅう、民主主義の始まりやねん。

ただし例外が3つあるんや。「王の身代金」「長男の騎士叙任」「長女の初回結婚」は、伝統的な封建義務やから、評議会の同意なしでも徴税できるっちゅうことやねん。ちなみに「王の身代金」っちゅうのは、ジョン王のお兄さんリチャード獅子心王が第3回十字軍から帰る途中に捕まって、めっちゃ高額の身代金を払わなあかんかった経験から来てるんや。

この第12条の精神は、世界中の民主主義国家の憲法に受け継がれてるんやで。日本国憲法の第84条にも「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」って書いてあるやろ。これは「税金は国民の代表が決める」っちゅう、マグナ・カルタと同じ考え方なんやな。

うちが感動するのはな、800年以上前の人らが「権力者が勝手に税金を決めたらあかん」って、ちゃんと理解してたことなんや。これが民主主義の原点やと思うねん。ジョン王は屈辱的やったやろうけど、わたしらにとっては「自由」と「民主主義」の始まりを教えてくれる、宝物みたいな条文なんやで。

第12条は、軍役免除金の課税に対する制限を定めた画期的な条文です。

封建制度下では、土地保有者は軍役義務を負いましたが、金銭での代替(軍役免除金)が一般化していました。国王はこれを重要な収入源としていたため、頻繁に課税しようとし、封建貴族との対立が生じていました。

この条文は「課税に対する同意」の原則を確立し、共通評議会の同意なしには課税できないとしています。ただし、国王の身代金、長男の騎士叙任、長女の初回結婚という伝統的な封建義務については例外としています。

マグナ・カルタの中でも第39条と並ぶくらい超重要な条文で、「課税には議会の同意が必要」っちゅう、民主主義の大原則を初めて明文化したもんなんやで。「代表なくして課税なし」っちゅうアメリカ独立革命の有名な言葉も、この条文から始まってるんやな。

ジョン王の時代、税金っちゅうのは王さんの気分次第で決まってたんや。「今年はフランスと戦争するから、盾役金を取るで」「来年も戦争するから、また取るで」「再来年も…」って、しょっちゅう軍役免除金(スクテージ)を課してたんやな。貴族も騎士も農民も、みんなもう払われへんくらい重税で苦しんでたんやで。

特にひどかったんはな、ジョン王がフランスとの戦争で領土を失いまくって、「失地王(ジョン・ラックランド)」って呼ばれてたことなんや。1204年にノルマンディーを失って、1214年にブーヴィーヌの戦いで大敗して、フランスにあった広大な領土がほとんど全部なくなってもうたんや。それでも戦争を続けるために、税金をどんどん上げたんやな。

例えばな、ある騎士はんは5年間3回も軍役免除金を課されて、合計で年収の2倍以上を払わされたっちゅう記録が残ってるんや。「もう家を売らんと払われへん」って嘆いてたそうやで。そういう不満が積もり積もって、1215年の貴族の反乱につながったんやな。

この条文が画期的なんは、「我らの共通評議会の同意による場合に限られる」って書いてあることなんや。「共通評議会(Common Council)」っちゅうのは、大司教、司教、大修道院長、伯爵、大貴族を集めた会議のことで、これが後のイギリス議会の原型になったんやで。つまり「王さん一人で勝手に税金決めたらあかん、みんなで話し合って決めなさい」っちゅう、民主主義の始まりやねん。

ただし例外が3つあるんや。「王の身代金」「長男の騎士叙任」「長女の初回結婚」は、伝統的な封建義務やから、評議会の同意なしでも徴税できるっちゅうことやねん。ちなみに「王の身代金」っちゅうのは、ジョン王のお兄さんリチャード獅子心王が第3回十字軍から帰る途中に捕まって、めっちゃ高額の身代金を払わなあかんかった経験から来てるんや。

この第12条の精神は、世界中の民主主義国家の憲法に受け継がれてるんやで。日本国憲法の第84条にも「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」って書いてあるやろ。これは「税金は国民の代表が決める」っちゅう、マグナ・カルタと同じ考え方なんやな。

うちが感動するのはな、800年以上前の人らが「権力者が勝手に税金を決めたらあかん」って、ちゃんと理解してたことなんや。これが民主主義の原点やと思うねん。ジョン王は屈辱的やったやろうけど、わたしらにとっては「自由」と「民主主義」の始まりを教えてくれる、宝物みたいな条文なんやで。

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