第1条 教会の自由
第1条 教会の自由
まず第一に、我らは神の前において、この憲章によって、イングランド教会が自由であり、その権利を完全に有し、その自由を侵されないことを、我らとその相続人のために永久に確約し承認した。
このことは、イングランド教会の自由について、我らが自らの意志によって承認し、教皇インノケンティウス三世の書状によって確認され、我らが叛乱前に与えた憲章において明らかにされているところである。
この自由を我らは守り、我らの相続人も永久にこれを守ることを欲する。
まず第一に、私らは神さんの前で、この憲章によって、イングランド教会が自由やということと、その権利を完全に持ってることと、その自由を邪魔されへんということを、私らとその子孫のために永久に約束して認めたんや。
このことは、イングランド教会の自由について、うちらが自分の意志で認めて、教皇インノケンティウス三世はんの書状で確認されて、反乱前に出した憲章で明らかにされてるところやねん。
この自由を私らは守るし、うちらの子孫も永久にこれを守ることを望むんや。
マグナ・カルタの第1条は、イングランド教会の自由と独立を保障する条文です。
ジョン王と教皇インノケンティウス三世の間で聖職叙任権をめぐる争いがあり、1207年にイングランドは教皇によって聖務禁止令下に置かれました。1213年にジョン王が教皇に屈服することで和解が成立しました。
この条文により、教会が世俗権力からの干渉を受けずに権利を行使できることが確約されました。
マグナ・カルタの一番最初の条文で、教会の自由を守るっちゅう、めっちゃ大事なことを決めたんやで。1215年のイングランドでは、王さんと教皇はんが「誰が司教や大司教を決めるんや」って、ずーっと喧嘩してたんやねん。
ジョン王は自分の言うこと聞く人を司教にしたかったんやけど、教皇インノケンティウス3世はんは「教会の人事はうちが決める!」って譲らんかったんや。それで1208年3月23日から1214年まで、なんとイングランド全土で教会の活動がストップしてもうたんやで。結婚式も葬式も洗礼式もでけへん。民衆はめっちゃ困ったやろうなあ。
これを「聖務禁止令(インターディクト)」っていうんやけど、要するに教皇はんがジョン王に「あんたが謝るまで教会は開かんで!」って圧力かけたんやな。ジョン王は民衆からも貴族からも「早う謝れや」って責められて、結局1213年5月15日に屈服することになったんや。その時の約束が、この第1条に書かれてるんやねん。
例えばな、ジョン王はカンタベリー大司教の人事で教皇はんと対立して、自分の息のかかった人を強引に任命しようとしたんや。でも教皇はんは「それは認めへん」って言うて、スティーブン・ラングトンっちゅう人を大司教に任命したんやな。ジョン王はカンカンに怒ったけど、結局負けてもうた。この第1条は、その屈辱的な経験を憲章に明記したもんなんやで。
この条文が第1条に置かれたんは、単なる偶然やないんやな。当時のヨーロッパでは、教会は王権と並ぶ巨大な権力やったし、民衆の信仰も厚かったんや。せやから「教会の自由を守る」っちゅうのは、王権の制限を象徴する最重要事項やったんやねん。
この第1条の精神は、後世に大きな影響を与えたんや。アメリカの憲法修正第1条にも「信教の自由」が保障されてるし、日本国憲法の第20条にも「信教の自由」と「政教分離」が書かれてるやろ。全部この1215年の約束が原点になってるんやで。
ジョン王にとっては屈辱的な条文やったかもしれんけど、わたしらにとっては「権力者でも宗教に介入したらあかん」っちゅう、民主主義の大事な原則を教えてくれる条文なんやな。これが第1条やっちゅうのが、マグナ・カルタの深い意味を物語ってるんやで。
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