おおさかけんぽう

法律をおおさか弁で知ろう。知らんけど

第117条第117条

(1) 第3条第2項に反する法律は、この基本法の規定に合わせるまで効力があるんやけど、1953年3月31日までやで。

(2) 今の住宅不足を考えて移転の自由の権利を制限する法律は、連邦法律で廃止されるまで効力があるんや。

ワンポイント解説

「理想と現実のギャップを埋める猶予期間」を決めた条文で、「いきなり完璧は無理やから、段階的に進めよう」っちゅう現実的な考え方が表れとるんや。

第1項は、男女平等に関する経過措置や。1949年に基本法ができて、第3条第2項で「男女は平等や!」って高らかに宣言したんや。これは画期的なことやったで。でもな、それまでのドイツの法律——特に民法(ビュルガーリヒェス・ゲゼッツブーフ)の家族法の部分——は、めちゃくちゃ男尊女卑な規定だらけやったんや。例えばな、「夫が家の主人で、家族の代表者や」「妻は夫の許可なしに働いたらあかん」「夫婦の財産は夫が管理する」「離婚の時も夫が有利」みたいな規定がぎょうさんあったんや。これ、1900年に作られた民法がずっと残っとったんやな。

基本法で「男女平等や」って決めたからには、こういう古い法律を全部書き直さなあかんねん。でもな、民法だけやなくて、商法、刑法、税法、社会保険法...ありとあらゆる法律に男女不平等な規定が残っとったんや。これを全部いきなり書き直すんは、物理的に無理やろ。せやから「1953年3月31日まで、つまり4年間の猶予期間をやるから、その間に法律を全部直せ」って決めたんや。議会も役所も総動員で、法律の見直し作業をしたんやで。

実際には、民法の家族法が全面改正されたんは1957年の「男女平等法(グライヒベレヒティグングスゲゼッツ)」やった。期限の1953年は過ぎてしもたけど、ちゃんと直したんやな。この改正で、妻も自分の意思で働けるようになったし、夫婦の財産も平等に管理できるようになったし、親権も夫婦が共同で持つようになった。「夫が主人」やなくて「夫婦は対等なパートナー」っちゅう考え方に変わったんや。

第2項は、移転の自由(居住地を自由に選ぶ権利)の制限に関する経過措置や。基本法第11条では「すべての人は、国内のどこにでも住む自由がある」って保障されとる。でも1949年の時点では、これを認めるわけにはいかへんかったんや。なんでかっちゅうと、戦争で街が焼け野原になって、家がないんや。空襲でドイツの都市の約60%が破壊された。ベルリン、ハンブルク、ケルン、ドレスデン...主要都市は瓦礫の山や。しかも東欧から1200万人以上の難民(フリュヒトリンゲ)と追放者(フェアトリーベネ)が押し寄せてきた。「どこに住んでもええで」なんて言うたら、みんな仕事のある都会に集まって、収拾がつかへんやろ。

せやから「しばらくは住む場所を制限させてや。連邦法律で廃止するまで、この制限は続けるで」って決めたんや。実際、住宅不足は1950年代いっぱい続いた。政府は「社会住宅(ゾツィアラー・ヴォーヌングスバウ)」っちゅうプログラムで、公営住宅をどんどん建てたんや。1960年代になってやっと住宅が足りるようになって、移転の自由が完全に保障されるようになったんやな。

この条文の大事なポイントは、「理想は掲げるけど、現実に合わせて段階的に進める」っちゅう柔軟さやねん。「明日から完璧にやれ」やなくて、「目標は決めた。でも時間かけて達成しよう」っちゅう現実的な考え方や。これは法律を作る時の大事な知恵やと、わたしは思うで。

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