第16条 民を使ふに時を以てせよ、古の聖王の良典なり
第16条 民を使うんは時を考えて、昔の聖人王のええやり方や
十六に曰く。民を使ふに時を以てせよ。古の良典なり。故に冬月に間有りて、以て民を使ふべし。春より秋に至るまで、農桑の節なれば、民を使ふべからず。その農あらずんば何をか食せん。その桑あらずんば何をか服ん。
第十六条はな、「民を使うに時を以てす。古の聖王の良典なり」っちゅうことやねん。これは、民衆を働かせる時は、時期を考えてやりなさい。これは昔の聖人みたいな王様がやってた、とてもええやり方やで、っちゅう意味や。
せやから、冬の間は農作業が休みやから、その時に民衆を使って公共工事とかをやってもらったらええんや。でも春から秋まで、特に農業や養蚕の忙しい時期は、民衆を別の仕事に使ったらあかん。
農業をせえへんかったら、何を食べるんや?養蚕をせえへんかったら、何を着るんや?民衆の基本的な生活を大事にせなあかんのやで。
ワンポイント解説
第十六条は、民衆の労働力を公的事業に動員する際の適切な時期について規定している。
聖徳太子は「使民以時」(民を使うに時をもってす)として、古代の聖王が実践していた賢明な政策であると位置づけている。具体的には、農業に支障のない冬季に公共工事等を行い、春から秋の農繁期には民衆を農業に専念させるべきだと主張している。
当時の日本は農業を基盤とする社会であり、食料生産の確保は国家存立の根幹であった。太子はこの経済構造を的確に理解し、短期的な公共事業の必要性と長期的な食料安全保障のバランスを図ろうとした。
「非其農則何食、非其桑則何服」(農業がなければ何を食べ、養蚕がなければ何を着るのか)という表現は、政治の根本目的が民衆の基本的生活の保障にあることを明確に示している。これは現代の「生存権」の概念にも通じる考え方である。
この条文は、国家による労働力動員が民衆の生活基盤を脅かしてはならないという、権力行使の限界を示した重要な規定といえる。
この条文は、太子さんの経済政策や労務管理についての考え方がよう分かる内容やな。1400年前に、もう「適切な時期に適切な労働を」っちゅう、とても合理的な考え方をしてはったんや。
当時の日本は農業中心の社会やったから、春から秋の農繁期に民衆を他の仕事に駆り出したら、国全体の食料生産が減ってしまう。太子さんは、そういう経済の仕組みをちゃんと理解してはったんやな。
現代風に言うたら、「季節労働者の労働権を守りましょう」「農繁期には農業に専念できる環境を作りましょう」っちゅう感じやろか。農業や漁業みたいに、季節に左右される仕事に就いてる人たちの都合を、国が考えなあかんっちゅうことや。
「非其農則何食、非其桑則何服」っちゅう部分は、特に印象的やな。政治っちゅうのは、結局は民衆の「食べる」「着る」っちゅう基本的な生活を支えるためにあるんや、っちゅう太子さんの考えがよう表れてる。政治家は、この原点を忘れたらあかんのやと思うで。
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