おおさかけんぽう

法律をおおさか弁で知ろう。知らんけど

第9条第9条 天子諸臣の礼服

天子はんの礼服はな、大袖・小袖・裳からなっとって、御紋は十二の意匠が入ってるんやで。諸臣はんらの礼服は、それとはまた別のもんなんや。

御袍は麴塵・青色・帛・生気の御袍、それか御引直衣・御小直衣なんかを用いるんやでな。

仙洞はん(上皇はん)の御袍は赤色の橡、それか甘御衣を用いるんや。

大臣はんの袍は橡色の異文で、小直衣を着るんやで。親王はんの袍は橡色で、こちらも小直衣を着るんや。

公卿はんは禁色の雑袍を着るんやけど、殿上人はんであっても、大臣はんの息子か孫にあたる人は、禁色の雑袍を着ることが許されとるんやで。

貫首・五位蔵人・六位蔵人は禁色を着るんや。位の一番上に極まった者は麴塵の袍を着るんやけど、これは天子はんから御服を賜るいう特別な儀式やねん。晴れの日には、位の低い者であってもこれを着ることがあるんやでな。

袍の色は、四位より上は橡、五位は緋、地下の者は赤衣、六位は深緑、七位は浅緑、八位は深縹、初位は浅縹と決まっとるんや。

袍の紋様は轡唐草輪無を用いて、それぞれの家の昔からの慣例に従うて着用するんやけど、槐(大臣)の位に任じられた後は、また違う文様になるんやでな。

直衣についてはな、公卿はんは禁色の直衣を、初めて着る時や拝領した時に、それぞれの家の昔からの決まりに従うて着用するんや。殿上人はんの直衣は、羽林家以外は着ることが許されへん。せやけど殿上人はんであっても、大臣はんの息子や孫にあたる人は、禁色の直衣を着ることが許されとるんやで。

布衣や直垂は、その場その場に応じて着用するもんなんや。

小袖については、公卿はんは衣冠の時に綾を着るんやけど、殿上人はんは綾を着ることはあらへんのやでな。

煉貫は、羽林家の者は三十六歳になるまで着ることができて、それ以外の家の者は着ることができへんのや。

紅梅は、十六歳の三月まではどの家の者も着てええんやけど、それより後は平絹を着るんやで。

冠は、十六歳にならんうちは透額を用いるんやでな。

帷子はな、公卿はんは端午の節句から、殿上人はんは四月の酉の日の加茂祭から着るんが、普通の決まりなんやで。

ワンポイント解説

第九条はえらい長い条文やろ。せやけどこれ、ただの服装規定やのうて、誰が見ても一目で「この人はどれくらいの位の人か」が分かるようにするための、当時の一種の身分証みたいなもんやってん。色や柄が細かく決められてるんは、それだけ位階いうもんが日常のあらゆる場面に染み込んでたいう証拠なんよ。

例えばな、羽林家の生まれのQさんが三十七歳になったのに、まだ三十六歳までしか着たらあかんはずの煉貫を着続けとったとするやろ。まわりの人らは、それを見た瞬間に「あれ、Qさんの歳ならもう卒業してるはずやのに」とすぐ気づいてしまう。今のわたしらの感覚やと、単なる服のこだわりぐらいに思うかもしれんけど、当時としては年齢と身分の区切りをきちんと守れてるかどうかが試される、地味やけど重大な問題やったんや。

逆に言うたらな、Rさんのような大臣の孫にあたる殿上人が、本来なら着られへんはずの禁色を特別に着ることを許されてる、いう規定もこの条文にはちゃんとあるんよ。家柄や血筋によって、着るもんの決まりに例外を作る。こういう細かい抜け道まで含めて全部を条文に落とし込んどるところに、当時の人らの几帳面さと、服装で秩序を保とういう本気度が伝わってくるやろ。色一つ、柄一つに、その人の生きてきた道のりが表れる。ちょっとおもろい見方かもしれんけど、わたしはそんなふうにこの条文を眺めてるんやで。

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