第1条第1条 天子御学問の要諦
天子はんが身につけなあかん御芸能のうち、一番大事なんは御学問やねん。
学ばんかったら、昔からの政道いうもんがようわからんままになってしまうんや。そんな調子でうまいこと政治をやって、太平の世をもたらした者なんか、今まで一人もおらんのやで。
これは『貞観政要』にもはっきり書いてあることや。
『寛平遺誡』には、経書や史書を究めるところまでいかんでも、『群書治要』だけはちゃんと読み習うとかなあかんと書いてあるらしいわ。
和歌いうんは光孝天皇の頃からずっと絶えることのう続いてきたもんで、飾り立てた言葉遊びやと言われることもあるけど、わたしらの国の習わしなんやから、ほったらかしにしたらあかんのやと。
これらは『禁秘抄』にも載ってることで、御習学こそが専ら大事にせなあかんことなんやでな。
なんでこの条文が一番最初に置かれとるんか、考えたことあるかな。世の中がようやっと落ち着いた直後にできた決まりやのに、最初に来るんは「まず学びなさい」という、いわば心構えの話やねん。なんでそこまで学問にこだわるかというと、昔の政道を知らんまま政治をやっても、うまいこと世の中を治めた例なんか一つもないから、ていう理由やねん。中国の『貞観政要』いう本を引き合いに出して、しかもそれだけやのうて日本の『寛平遺誡』も引いて、せめて『群書治要』ぐらいは読み習うべきやと念押ししてる。和歌についても、光孝天皇の代からずっと続いてきた日本の習わしやから軽う見たらあかんて、ちゃんと書いてあるんよ。
例えばな、Aさんがどれだけ生まれのええ家に育っても、勉強をサボって育ったら、いざという時に人をまとめる力なんか出てけえへんやろ。この第一条が言うてるのはまさにそういうことやねん。天子はんという一番上に立つお方にこそ、まず御学問をしっかり身につけてもらわなあかんと、この法度は真っ先に宣言してるんや。
わたしがこの一条でおもしろいなと思うのはな、あとに続く条文が座次やら官位やらの細かい取り決めばっかりやのに、いちばん最初だけはこうやって心構えの話から入ってるところやねん。細かいルールを並べる前に、その土台になる姿勢そのものを一番先に置いとく。この並べ方一つで、法度全体の受け取り方がだいぶ変わってくるように思うんよ。
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