第9条 信は是義の本なり
第9条 信頼こそが正しい行いの基本や
九に曰く。信は是義の本なり。毎事信有り。それ善悪成敗は、要信に在り。群臣共に信ぜば、何事か成らざらん。群臣信無ければ、万事悉く敗る。
第九条はな、「信は是れ義の本なり」っちゅうことやねん。これは、信頼っちゅうもんが、正しい行いの基本やで、っちゅう意味や。
どんなことをするときでも、信頼が大事なんや。物事がうまくいくかいかへんか、成功するか失敗するかは、みんな信頼にかかってるんやで。役人たちがお互いに信頼し合ってたら、どんな難しいことでもできるもんや。でも、もし信頼がなかったら、すべてのことがうまくいかへんようになってしまうんや。
第九条は信頼関係を政治・社会運営の根本原理として位置づけた条文である。「信は是れ義の本なり」は、信頼が正義や道徳的行為の基盤であることを明確に示している。儒教的な道徳観において「信」は五常(仁・義・礼・智・信)の一つとして重要視されており、太子はこれを政治運営の中核概念として採用した。
条文の構造は、信頼の重要性を段階的に論証している。まず個別の事象レベルでの信頼の必要性(每事有信)、次に成功と失敗を左右する決定要因としての信頼の役割(其善悪成敗要在于信)、最後に組織全体の機能に与える信頼の影響(群臣共信何事不成、群臣無信萬事悉敗)を示している。これは現代の組織論における信頼の機能と本質的に同じ認識である。
現代的意義としては、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の概念との共通性が指摘できる。政治学や経済学において、社会の信頼関係が制度の効率性や経済発展に与える正の効果が実証的に示されており、太子の洞察の先見性が確認される。また、組織経営においても、信頼関係は取引コストの削減、意思決定の迅速化、創新的活動の促進といった効果をもたらすことが知られており、第九条は現代の経営学における信頼理論の古典的原型として評価できる。
とてもシンプルやけど、めちゃくちゃ大事なことを言うてるんや。「信頼」っちゅうのは、人間関係の基本中の基本やからな。太子さんは、「信は是れ義の本なり」って言うてはる。つまり、信頼っちゅうのは、正しい行いの根っこやっちゅうことやねん。
これはな、中国の孔子が説いた「五常」(仁・義・礼・智・信)っちゅう五つの徳の一つなんや。太子さんは、この中でも特に「信」を強調してはるんやな。なんでかっちゅうと、当時の日本は、豪族同士が互いに疑心暗鬼になってて、誰も信用できへん状態やったからや。例えばな、ある豪族が「一緒に協力しましょう」って言うても、裏で別の豪族と手を組んでるかもしれへん。そういう裏切りがしょっちゅうあったから、みんな疑い合ってたんやな。
太子さんは、「其善悪成敗、要在于信」って言うてはる。物事がうまくいくかいかへんか、成功するか失敗するかは、全部信頼にかかってるんやでっちゅう意味や。これは、めちゃくちゃ深い洞察やと思うで。どんなにええ計画を立てても、どんなに優秀な人材がおっても、お互いを信頼してへんかったら、何もうまくいかへん。
例えばな、遣隋使を派遣する時のことを考えてみ。小野妹子が隋まで行くのは、命がけの旅やった。途中で海が荒れて船が沈むかもしれへんし、隋の皇帝に失礼なことをしたら殺されるかもしれへん。そんな危険な仕事を任せるには、太子さんと小野妹子の間に、深い信頼関係がなかったら成り立たへんやろ。小野妹子は「太子さんが任せてくれたんやから、命をかけてやり遂げる」って思うし、太子さんは「妹子やったら絶対に成し遂げてくれる」って信じてた。そういう信頼関係があったから、あの大事業が成功したんやな。
「群臣共信、何事不成。群臣無信、万事悉敗」っちゅう最後の部分は、とても明快やろ。役人たちがお互いに信頼し合ってたら、どんな難しいことでもできる。でも、もし信頼がなかったら、すべてのことがうまくいかへんようになってしまう。これは、現代の組織論で言うところの「心理的安全性」にも通じる考え方やと思うで。
現代でも同じやろ。会社でも、学校でも、家庭でも、お互いを信頼し合ってるチームは強いし、疑い合ってるところはバラバラになってしまう。例えばな、会社でプロジェクトを進める時に、メンバー同士が「あいつは本当に仕事してるんか」「あいつは裏切るんちゃうか」って疑い合ってたら、絶対にうまくいかへん。逆に、「あいつやったら大丈夫」「みんなで力を合わせたら乗り越えられる」って信じ合ってたら、困難な状況でも頑張れるもんや。
太子さんは、国を治めるのも、結局は人の心の問題やっちゅうことを分かってはったんやな。法律や制度も大事やけど、最後は人と人との信頼関係がなかったら、何もうまくいかへん。うちは、この第九条が、組織運営の本質を突いた、とても深い条文やと思ってるんやでな。知らんけど。
簡単操作