おおさかけんぽう

法律をおおさか弁で知ろう。知らんけど

第17条 みんなで話し合って決めよな

第17条 それ事は独断どくだんすべからず、かならしゅうよろしくろんずべし

第17条 みんなで話し合って決めよな

第十七条はな、「それ事は独断すべからず。必ず衆と宜しく論ずべし」っちゅうことやねん。これは、物事は一人で勝手に決めたらあかん、必ずみんなで相談して決めなさい、っちゅう意味や。

小さいことやったら、そんなに重要やないから、必ずしもみんなで相談せんでもええかもしれん。でも、大事なことを決める時は、もし間違いがあったら大変やから、みんなで議論せなあかん。

みんなで議論をしたら、議論をすることによって、正しい道理が見えてくるんや。

十七じゅうしちいわく。それ事は独断どくだんすべからず、かならしゅうよろしくろんずべし。少事しょうじこれかるし、かならずしもしゅうとすべからず。ただ大事だいじろんずるにおよんでは、もししつあることをうたがう。ゆえしゅうあいべんず。べんずればすなわたり。

第十七条はな、「それ事は独断すべからず。必ず衆と宜しく論ずべし」っちゅうことやねん。これは、物事は一人で勝手に決めたらあかん、必ずみんなで相談して決めなさい、っちゅう意味や。

小さいことやったら、そんなに重要やないから、必ずしもみんなで相談せんでもええかもしれん。でも、大事なことを決める時は、もし間違いがあったら大変やから、みんなで議論せなあかん。

みんなで議論をしたら、議論をすることによって、正しい道理が見えてくるんや。

ワンポイント解説

十七条憲法の最後を飾るにふさわしい、とても重要な内容やと思うんや。太子さんは、最後に「民主的な意思決定」の大切さを強調してはるんやな。第一条の「和」から始まって、最後は「みんなで話し合って決める」で終わる。この構成自体が、太子さんの理想とする国家のあり方を表してるんや。

「夫事不可獨斷」っちゅうのは、現代でいう「独裁の否定」やろ。どんなに偉い人でも、一人で全部決めるのは危険やっちゅうことや。太子さんの時代っちゅうのはな、まだ「王様の言うことは絶対」っちゅう考え方が当たり前やった時代やねん。せやのに、太子さんは「大事なことは、みんなで話し合って決めなあかん」って言うてはる。1400年前に、もうこんな考え方をしてはったなんて、ほんまにすごいことやと思わへん?

例えばな、太子さんは冠位十二階っちゅう制度を作らはったんや。これは、生まれや家柄やのうて、能力や功績で役人の地位を決める制度やってん。つまり、有能な人を広く登用しようとしてはったわけや。そういう有能な人たちを集めて、みんなで議論して国の方針を決める。これが太子さんの理想やったんやな。実際、太子さんは政治の重要な決定をする時に、蘇我馬子とか、他の有力者たちとちゃんと話し合ってはったんや。

太子さんは、小さいことと大きいことを区別してはる。「小事は是れ軽し、必ずしも衆とすべからず」って言うてるやろ。これは「小さいことは、わざわざみんなで相談せんでもええ」っちゅう意味や。逆に、「唯大事を論ずるに逮んでは」って続けて、「大事なことは、もし間違いがあったら大変やから、必ずみんなで議論せなあかん」って言うてはる。このバランス感覚が、とても現実的やと思わへん?何でもかんでもみんなで相談してたら、時間がかかり過ぎて何も進まへんからな。でも大事なことは、時間がかかってもみんなで話し合う。この使い分けが大事なんやな。

「辯之則得理」っちゅう最後の部分が、特に印象的やで。「議論することによって、正しい答えが見つかる」っちゅう意味やねん。これは、現代の民主主義の根本にある考え方と同じやろ。一人で考えてたら、どうしても偏った見方になってしまう。せやけど、いろんな立場の人が意見を出し合って議論したら、自分が見えてへんかった問題点に気づいたり、新しいアイデアが生まれたりする。太子さんは、この「対話による真理の発見」っちゅう、とても深い哲学を理解してはったんやな。

例えばな、遣隋使を派遣する時も、朝廷で大きな議論があったはずやねん。「隋に使者を送るべきか、送らへんべきか」「送るとしたら、何を伝えるべきか」「隋の皇帝にどんな態度で接するべきか」。こういう国の命運を左右する大事な決定を、太子さんは独断で決めんと、みんなで話し合って決めてはったんやと思うで。実際、607年の遣隋使の時の国書には「日出ずる処の天子」って書いてあって、これは隋の皇帝である煬帝にとっては無礼やと感じられる表現やったんや。煬帝は確かに不快に思うたやろけど、外交上の理由から、大きな問題にはせえへんかった。こんな大胆な外交方針を決めるには、相当な議論があったはずやろ。

この第十七条で、十七条憲法全体が完成するんや。第一条の「和」から始まって、第二条の「三宝を敬う」、第三条の「詔を謹む」、そして最後の第十七条「みんなで話し合って決める」。これら全部がつながって、太子さんの理想とする国家像を描いてるんやな。それは、調和を大切にして、精神的な価値を重んじて、秩序を守りながらも、みんなで協力して国を治める、そんな国やったんや。うちは、この第十七条が、日本の民主主義の源流やと思ってるんやでな。知らんけど。

第十七条は、十七条憲法の結論として、集団的意思決定の重要性を説いている。

聖徳太子は「夫事不可獨斷」(物事は独断してはならない)として、権力者による独断専行を戒めている。これは現代の民主主義における「独裁の否定」に通じる考え方であり、約1400年前の発想としては極めて先進的である。

条文では、小事と大事を区別し、重要な案件については必ず集団で議論することを求めている。「辯之則得理」(議論すれば理が得られる)という表現は、討議を通じて正しい結論に到達できるという、討論の価値を明確に示している。

太子の政治思想は、効率性と民主性のバランスを重視していた。すべてを集団決定にすれば非効率になるが、重要事項については時間をかけてでも合意形成を図るべきだとする現実的な判断である。

第一条の「和」に始まり、第十七条の「集団的意思決定」で終わる構成は、太子が目指した理想的な政治体制を表している。それは、調和と協調を重んじ、重要な決定は集団の知恵によって行う国家であった。

十七条憲法の最後を飾るにふさわしい、とても重要な内容やと思うんや。太子さんは、最後に「民主的な意思決定」の大切さを強調してはるんやな。第一条の「和」から始まって、最後は「みんなで話し合って決める」で終わる。この構成自体が、太子さんの理想とする国家のあり方を表してるんや。

「夫事不可獨斷」っちゅうのは、現代でいう「独裁の否定」やろ。どんなに偉い人でも、一人で全部決めるのは危険やっちゅうことや。太子さんの時代っちゅうのはな、まだ「王様の言うことは絶対」っちゅう考え方が当たり前やった時代やねん。せやのに、太子さんは「大事なことは、みんなで話し合って決めなあかん」って言うてはる。1400年前に、もうこんな考え方をしてはったなんて、ほんまにすごいことやと思わへん?

例えばな、太子さんは冠位十二階っちゅう制度を作らはったんや。これは、生まれや家柄やのうて、能力や功績で役人の地位を決める制度やってん。つまり、有能な人を広く登用しようとしてはったわけや。そういう有能な人たちを集めて、みんなで議論して国の方針を決める。これが太子さんの理想やったんやな。実際、太子さんは政治の重要な決定をする時に、蘇我馬子とか、他の有力者たちとちゃんと話し合ってはったんや。

太子さんは、小さいことと大きいことを区別してはる。「小事は是れ軽し、必ずしも衆とすべからず」って言うてるやろ。これは「小さいことは、わざわざみんなで相談せんでもええ」っちゅう意味や。逆に、「唯大事を論ずるに逮んでは」って続けて、「大事なことは、もし間違いがあったら大変やから、必ずみんなで議論せなあかん」って言うてはる。このバランス感覚が、とても現実的やと思わへん?何でもかんでもみんなで相談してたら、時間がかかり過ぎて何も進まへんからな。でも大事なことは、時間がかかってもみんなで話し合う。この使い分けが大事なんやな。

「辯之則得理」っちゅう最後の部分が、特に印象的やで。「議論することによって、正しい答えが見つかる」っちゅう意味やねん。これは、現代の民主主義の根本にある考え方と同じやろ。一人で考えてたら、どうしても偏った見方になってしまう。せやけど、いろんな立場の人が意見を出し合って議論したら、自分が見えてへんかった問題点に気づいたり、新しいアイデアが生まれたりする。太子さんは、この「対話による真理の発見」っちゅう、とても深い哲学を理解してはったんやな。

例えばな、遣隋使を派遣する時も、朝廷で大きな議論があったはずやねん。「隋に使者を送るべきか、送らへんべきか」「送るとしたら、何を伝えるべきか」「隋の皇帝にどんな態度で接するべきか」。こういう国の命運を左右する大事な決定を、太子さんは独断で決めんと、みんなで話し合って決めてはったんやと思うで。実際、607年の遣隋使の時の国書には「日出ずる処の天子」って書いてあって、これは隋の皇帝である煬帝にとっては無礼やと感じられる表現やったんや。煬帝は確かに不快に思うたやろけど、外交上の理由から、大きな問題にはせえへんかった。こんな大胆な外交方針を決めるには、相当な議論があったはずやろ。

この第十七条で、十七条憲法全体が完成するんや。第一条の「和」から始まって、第二条の「三宝を敬う」、第三条の「詔を謹む」、そして最後の第十七条「みんなで話し合って決める」。これら全部がつながって、太子さんの理想とする国家像を描いてるんやな。それは、調和を大切にして、精神的な価値を重んじて、秩序を守りながらも、みんなで協力して国を治める、そんな国やったんや。うちは、この第十七条が、日本の民主主義の源流やと思ってるんやでな。知らんけど。

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